音楽

久保田早紀(久米小百合)さんのデビュー~現在を調査!

2016/08/31


久保田早紀さんは、1958年5月11日生まれの日本の歌手、作詞家、作曲家です。

現在は「久米小百合」名義で活動しているのですが、その経緯をデビューから遡って調べてみました。

異邦人でデビューし大ヒット!一躍人気歌手に!

久保田早紀さんは1979年10月1日に「異邦人」をリリースして歌手デビューしました。

実は、リリースされる前は異邦人というタイトルではなく「白い朝」というタイトルだったというから驚きです。

また、この曲は三洋電機のCMソングに抜擢され(というか、リリース前からタイアップが付くことがきまっていました)大ヒットしました!!

12月27日には第1位を獲得、1980年1月17日まで3週間連続(正月休みを挟み実質4週)で1位の座に留まり、その後3月6日 まで12週の長きにわたり連続ベストテン入りする大ヒットとなった。(出典:Wikipedia)

ということで当時ものすごく流行った曲みたいですね。

最終的な売上枚数は144万4000枚と新人歌手としては快挙のミリオンヒットを記録しました!!

この144万4000枚という記録は、日本の歴代シングル売り上げランキングで91位(2016年8月現在)という記録にもなっています。

ちなみに歴代シングル売り上げランキングの一位は「およげたいやきくん」の454万8000枚です。

その後は、シングルを「ピアニッシモで…/夜の底は柔らかな幻」までの9枚。アルバムも「夜の底は柔らかな幻」までの9枚をリリースしました。

ですが、

わずか5年での芸能界引退

異邦人のインパクトが大きすぎたのか、なかなかあれほどのヒット曲にめぐまれず、デビューからわずか5年あまりで音楽活動を引退してしまいます。

その時の胸中を後年に出演した番組内で

「実は当時は、芸能界にはさほど興味が無く、さらに、ショービジネスの世界のゴタゴタとあわただしい感じについていけず、結局馴染むことはできなかった」

と語っています。また、

「芸能人・久保田早紀」として派手な活躍 が求められる生活だけは断ち切らなければと感じた。 「仲間内の音楽談義で小坂さんが『音楽にはティッシュ ペーパーのように消費される曲もあれば、使いなじんだ タオルのように長く愛される曲もある』とよく話してく れました。私が作りたいのは後者。でも、周囲から期待されるのは前者のように思えてなりませんでした。(Works 11年2-3月)

と語っており、当時から自分の音楽についてかなり悩まれていたご様子です。

しかし、今の旦那さんとの「結婚」をキッカケにキッパリとやめる決心がついたそうです。

1984年に久米大作さんと結婚。そのことが転機になったようですね

音楽伝道師として第二の人生を歩む

引退後はしばらく専業主婦をしていましたが、誘いを受けて神学校(東京バプテスト神学校神学科)に入学。その後はクリスチャン系の音楽伝道師として第二の人生を歩むことになりました。

それ以降は「久保田早紀という名前は二度と使いたくない」ということで、結婚後の姓久米を名乗った。本名「久米小百合」として活動しているようです。(「くめさゆり」というひらがな名義での活動もあるようです)

クリスチャン系の音楽伝道師ということで、伝統的な賛美歌、コンテンポラリー・ クリスチャン・ミュージック(CCM)と呼ばれるオリ ジナルの賛美歌も歌っているとのこと。

異邦人に振り回された人生に見えたが、現在はとても第二の音楽人生を謳歌していた

(久米小百合HPより)

彼女の後年のインタビューやテレビ・ラジオでの発言では

「異邦人のデビューから暴走列車に振り回されるような人生だった」

という旨の発言を多くなさっていましたが、現在は過去の自分には振り回されず、新しい自分を見つけて音楽に突き進んでいました。

近年ではTVCMに出演したり、2007年から2010年まで日本聖書協会の親善大使を努めたりなど精力的な活動が見られるようです。

以上が久保田早紀さん(久米小百合)のデビューから現在までの詳細でした。

最後までご覧頂き、ありがとうございました。

 


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