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インカ帝国の前身古代ペルー「ワリ帝国」の驚くべき真相が明らかに!


みなさんはペルーの「インカ帝国」という名前は聞いたことあると思います。

しかし、それより1000年ほど前にアンデスの地に栄えた

「ワリ帝国」そして「ワリ文化」があったのをご存知でしょうか。

実はこのワリがインカ帝国に大きな影響を与えていたのです。

そして驚くべき事実も!!

今回はそんなワリ帝国とワリ文化の真相に迫ってみました!!

 

ワリの誕生

実はワリの誕生の詳細はまだ明確にはなっていません。

西暦500(600という説も)~1000年ごろに ティアワナコ(ティワナク)という現在のボリビアの西部の地域から派生して徐々に支配地域を広げていったのですが、その後の支配地域については、リマ近郊とナスカの1区画を除いてほとんど明らかになっていないのです!

まだ学者の間でも議論がされているということから、とても謎の多い文明だったのです。

ティアナクの場所

出典:Wiki

 

ワリの遺跡が発見される!!

そのワリに関する遺跡が、リマの約300キロ北の場所に位置する「エル・カスティーリョ・デ・ウアルメイ」というところから発見されたのです!

霊廟のような遺跡からは、金や銀などの宝飾品や工芸品青銅製の斧など1200点が出土しました。

さらに、ワリの王女とみられるミイラも発掘されました!

 

 

         ワリの工芸品

出典:masaki-knz.cocolog-nifty.com

 

            ワリの遺跡の様子

出典:tabi-shiro.at.webry.info

関係者たちは「世紀の大発見」と驚いています。

今まで謎にワリ帝国やワリ文化については、謎に包まれていた部分が多かったのですが、今回このエル・カスティージョから遺跡が発掘されたということは、この場所に王族がいた、つまり、この地まで帝国の支配下に置かれていたということを明らかにしたのです。

当初では、ワリ帝国の中心地はアヤクチョ市というペルーの中下部に位置する都市で4万人規模の大都市を形成したものと思われていた。

しかし、今回遺跡が発掘されたはアヤクチョよりはるか北、リマからも北へおよそ300kmの海岸部のワルメイの街外れだったのです。

つまり、発覚したことは、

「王族による階級支配が行われていた」

ことと

「ワリ帝国の支配が広範囲に及んでいた」

ということです。

ボリビアの西部(ペルーの下、つまりペルー南部のあたり)から北上しながら支配域を広げていったという説が濃厚になったのです。

細かい支配地域や時期、形態についてはまだ謎も多いですが、以前空白だったピースが埋められたということで世界中を驚かせたのです。

このことから、ワリ帝国が滅んだ理由として

「支配域を拡大しすぎて収集がつかなくなり、滅んだ」

という説が非常に真実味を増したのでした。

インカ帝国とワリ文明のつながり

では、このワリ帝国のワリ文明が後のインカ帝国にどのような影響を与えていたのでしょうか。

インカ帝国全土に広がる道路網はワリ帝国の時代に基礎が築かれている。また、ワリの王統がインカに継承されているとも言われており、口承で残っている。さらに、インカ期に用いられたキープ(結縄)と呼ばれる縄の結び目を利用した文字の代替用具が、ワリ期にすでに存在したとも言われている
出典:Wiki

このように、ワリ自体のに構築された基礎が、後のインカ帝国でも生きていたようです。

また、ワリ帝国が、支配域を拡大しすぎて滅びてしまったという説があることから、インカ帝国はその二の舞いにならないように、支配域を広げる際に、元からの首長らを手厚くもてなし、大量の贈り物をして懐柔させて自身の支配下にすんなり飲み込むという手法をとったのかもしれませんね。

徐々に支配域を広げて、その後に中央から役人を派遣して統治させるというワリ帝国時代にはできなかったであろう組織化された統治術がインカ帝国では成し遂げられていたのです。

つまり、ワリの文化は、文化自体もインカ時代へ受け継がれ、失敗は反面教師的にうまく活用されていたと言えるのではないでしょうか。

 



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